「はい、今日はここまで」
 
チャイムが鳴り響き、国語の先生が授業の終わりを告げると、日直が、起立、という掛け声が続く。
 
席を立つと同時に、私は床からの冷たい冷気に、体を震わせた。
 
「・・・礼!」
 
一時間目が終わる。
 
私は今、上履きを履いていない。
また席に座ると、つま先だけを床に着け、なるべく靴下のまま、床の厳しいまでの冷気から身を守る。
 
忘れた、訳じゃない。
朝、私の靴箱の中から、上履きが消えていた。
 
もう、何度目かわからない。
自分の机の中に、無造作に押し込まれていたり、教室の黒板消しの横に置かれていたこともある。
そのまま、どこに行ったか、無くなってしまったものもある。
今までに、4回、上履きを新調した。
 
また、体が震えた。
今度は、寒さだけじゃない。尿意を催した。
 
今まで、何度も、上履きが無くなったとき、先生に訴えた。
先生は、そのたびに朝のクラス会で、そんな幼稚ないたずらをやめるように、上履きを探すように、言ってくれた。
でも、何の効果もなく、何日かすると、また隠されてしまう。
 
しかも、そうやって先生に相談すると、必ずクラスの女子数人でトイレに連れ込まれ、殴られたり、蹴られたり。
私が泣くと、面白がってトイレの床に正座をさせ、頭を床に押し付けられた。
服を脱がされ、下着姿のまま、制服だけ持ち去られ、トイレに置いてけぼりされたり、女子更衣室でもみんなの前で下着まで脱がされた。
 
「今度、チクったら、男子のいる前で、脱がす」
 
その言葉が頭をよぎったとき、不意に、激しい尿意が襲ってきた。
 
もう、先生には、相談できない。
でも、どうしよう。。。
 
このままじゃ、トイレに行けない。行きたくない。
靴下のまま、あの冷たい、湿ったトイレの床の上を、歩けというの?
 
でも、このまま我慢していたら・・・休み時間が終わっちゃう。
 
どうしよう。
 
時計の針は、無情にも進み、休み時間の終わりまで残り3分を切っていた。
もう、今から行っても、次の授業に間に合わない。
 
ためらいの時間だけが過ぎ、結局そのまま授業開始のチャイムが鳴った。
 
「起立!」
 
私は恐る恐る、椅子を引きゆっくり立ち上がった。足の裏が全部床に着き、容赦のない冷たさが、足の裏から伝わってくる。
と同時に、また強い尿意。
「礼、着席」
 
椅子に座っても、まだ尿意は収まらない。どんどん、強くなっていく。
 
次の休み時間まで、あと45分。
絶望感が私の頭の中を支配していく。
我慢しなくちゃ・・・我慢。
でも、トイレに行きたい。トイレ・・・トイレ、おしっこしたい。
 
誰か、私をトイレに行かせて。
 
授業が始まってから、5分も過ぎていないのに、もう、我慢できそうにない。
先生が、私の席の横を通り過ぎようとしたとき、思い切って先生に声をかけた。
 
「先生・・・トイレ、に行ってもいいですか?」
 
「水野・・・まだ授業始まったはかりじゃないか・・・トイレに行かなかったのか?」
 
私は座ったまま何も返事ができなかった。
クラスのいたるところから、ひそひそ話、嘲笑が聞こえてくる。
精一杯、苦しそうな表情をして、先生に無言で訴える。「もう、我慢できないから」と。
 
「・・・しょうがないな、行ってきなさい」
 
「はい・・・」
 
私は少し焦りながら椅子を引き、立ち上がった。
先生の横を通り過ぎようとしたとき、先生は、私の足元に気が付いた。
 
「おい・・・水野・・・おまえ、上履きどうしたんだ?」
 
「・・・すみません。今日、忘れてしまって・・・」
 
少しためらった後に、そう答えた。
 
「誰か、水野に上履き貸してあげなさい」
 
クラス中ざわついていたが、先生の言葉に、しんと静まり返った。
誰も、私に上履きを貸そうと、手を挙げる者はいない。
嫌な、無言な時間が過ぎる。
 
「・・・じゃあ、加藤・・・上履き、貸してあげなさい」
 
「えっ・・・はぁーい」
 
明らかに嫌そうな声で答えながら、上履きを脱ぎ始める加藤さん。
いつも、私がいじめられているのを遠巻きで見ているだけの加藤さんが、脱いだ上履きをそろえて、私の前に置いてくれた。
 
「ありがとう」
 
小さく挨拶して、私はその上履きを履き、トイレに向かって走り出した。
 
無事にトイレで用を足し、教室に戻って、上履きを脱いで加藤さんの足元に置いた。
 
「ありがとう」
 
そう小声で感謝の気持ちを伝えたが、加藤さんは何も答えず、淡々と、上履きに足を入れるだけだった。
 
私は靴下のまま。加藤さんは当たり前のように上履きを履いている。
みんなも、そう。
 
私だけ、靴下のまま。
 
席に着くと、また床の冷たさが身に染みた。
 
~完~