◇◇
 
ぎこちない挨拶を交わした後、学は、少しだけ満足していた。
 
予想した通り、彼女が「高橋」さんだった。2年4組の。
男子トイレの中に無造作に置かれた、かわいそうな靴の持ち主。
 
そんな彼女、高橋さんから感謝の言葉を聞いて、靴を見つけることができてよかったと学は心底からそう思っていた。自分の靴がまだ、見つけられていないことは、ほとんど忘れていた。
 
学は、彼女の左奥にある、ベンチに目を止めた。
 
「…よかったら、あそこにすわりませんか?」
 
そう言いながら、ベンチを指さした。
彼女は、その指の方向を向いて、すぐに学に向き直り、小さく会釈をした。
 
学が、先にベンチに向かって歩く。その少し後ろを彼女が歩く。
 
ぺたぺたぺた… スリッパの音がする。いかにも歩きにくそうだ。
 
学が先に、そのベンチに腰を掛ける。彼女は少し後に、少し距離を開けて腰かけた。
何故か、彼女が気になって、話しかけてみたくなった。ベンチに誘ったのは単純にそんな理由だった。女の子と、今までほとんど話したことがない学は少し緊張していた。
 
「…上履きは、どうしたの?」
 
さっきから学の頭の中に浮かんでいたひとつの疑問から、言葉になって彼女に発せられた。
見つけたローファーのことではない。彼女が「高橋さん」であることを知ることができた、手元に持っていた片方だけの上履き。そして、今彼女が履いている、来客用のスリッパ。
 
彼女は、また少し驚いた表情をして、すぐに目線をそらしうつむいてしまった。
 
その質問が、彼女にとって嫌なことなのだとすぐに分かった。確かに、触れてほしくないのかもしれない。
 
しばらくすると、彼女は空を見上げて、ゆっくりと絞り出すように、学に話し始めた。
 
「…上履き、無くなってたの… 体育の、授業の後に…」
 
彼女の話がしばらく続いた。学は、真剣に聞いていた。
その話の内容は、学にとっても痛いほど、分かるからだった。
 
 
◇◇◇
 
 
奈緒は、2時間目の体育の授業が終わった後、更衣室での出来事を思い出していた。
 
更衣室に入って、「021」番という番号札がついている、縦長のロッカーの扉を開けた。
そこに、これから着替える制服や、上履き、バックが入っているはずだった。
 
が、まず下のほうにある靴の置き場所に、上履きが無く、カバンはチャックが全開で、中身が空になっていた。
 
どうしよう…
 
同じクラスの誰かがやったに違いない。でも、誰が隠したか、分からない。
おどおどしているうちに、周りの女子はみんな、ほとんど着替えが終わっていた。
ひとりだけ、白い体操服にブルマ、体育館履きを履いている奈緒に対して、クラスのリーダー格のひとりである、佐伯マリアが近づいた。
 
「ねぇー。まだ着替えて無いの? グズでのろまちゃんね…」
 
マリアは見下したような顔で、奈緒を茶化した。
 
「早く、ほら体操着とブルマを脱いで!」
 
マリアがそういうと、周りにいた女子のほとんどが奈緒に注目した。
奈緒と、その前に立っているマリアの周りを、10人以上のクラスメイトが取り囲んだ。
僅かに、4人ほどの女子が、その輪から外れて、わざと目をそらしていた。
 
「脱げ! 脱げ!」
 
誰かが、そう連呼し始めた。すると、取り囲んでいた女子全員から、手拍子に合わせて「脱げ」コールが沸き起こった。
 
居たたまれなくなった奈緒は、仕方なく体操着に手をかけて、脱いだ。次に体育館履きを脱いだところで、奈緒の動きが止まる。あらわになった、薄いピンク色のブラジャーを隠すように、胸の前を両手で抱えた。
 
「ほら、まだブルマがまだでしょ! 早く脱ぎなよ!」
 
また「脱げ」コールが沸き起こる。それでも奈緒は恥ずかしさのあまり、動くことができなかった。
 
「…まったく、じれったいわね、この子は…」
 
そういって、マリアは周りの取り巻き3人に声をかけて、一斉に奈緒を押さえつけ、ブルマと、一緒にブラジャーと同じ色のパンティまで脱がそうとした。
 
やめて!
 
奈緒は叫んだが、ここには誰も奈緒の味方はいない。外にも声は届かない。
 
奈緒の両足から、ブルマとパンティが脱ぎ降ろされ、マリアに手渡された。
 
奈緒は、泣き出しそうになりながら、両手で股間を抑え、マリアに返してもらおうと迫ったが、マリアはすばやく更衣室の角にある、ごみ箱に、無情にもそのブルマとパンティを投げ捨てた。
 
奈緒は、慌ててそのごみ箱に急いだ。
ごみ箱をのぞき込む奈緒。
そこには、今マリアが投げ捨てたブルマとパンティ、だけではなく、制服が上下捨てられていた。名前を確認するまでもない、こんなことをされている制服は私のものしかない、奈緒はそう思いながら、制服などを取り出した。
 
奈緒は慌てて、パンティを履き、続いて制服を着始めた。
 
その頃、周りにいたはずのクラスメイトは、一人を除いていなくなっていた。
そのひとりは、上田美和という体育委員だった。明らかにイライラした表情で、奈緒をにらみつけていた。美和も、マリアと仲の良い友達、取り巻きのひとりだ。
 
「ちょっと、もう次の授業が始まるよ! これ、職員室に返してきて!」
 
そういって美和は、更衣室のカギを、奈緒に向かって投げつけた。
 
白い靴下のままの、奈緒の足元でカギの動きが止まる。
その時奈緒はあることに気づかされた。
 
上履きが、無い。
 
下着も、制服も返してくれたが、上履きが無い。
さらに、一緒に脱いだ体育館履きも、こつ然と消えていた。
 
奈緒は、あたりを見渡した。どこにも無い。
 
無情にも、次の授業が始まるチャイムが鳴り始めた。もう時間がない。
仕方なく奈緒は、体操服をバックにしまい、更衣室の外に出てカギを閉め、靴下のまま職員室に向かった。
 
 
「…最近、上履きを、毎日家に持ち帰るようにしていたの…でも…」
 
休み時間のことを思い出している間、どのくらいの時間がたっていたか、奈緒にはわからなかったが、我に返ってやっとそう、彼に伝えた。
 
彼は、私のほうを見て頷いてくれた。やさしい目をしていた。
 
「…それで、帰ろうとしたら、靴まで、…ローファーまで無くなってて…」
 
そこまで話した後、奈緒の頬に一筋の涙がこぼれていくのを、彼は見つめていた。
街灯の、柔らかな光に反射して、その涙は彼にはっきり見えていた。