体育用のスニーカを履いたまま、自分の下駄箱の中を、ただじっと見つめていた私は、不意に強い腹痛に襲われて、我に返った。

トイレに、行かなくちゃ…

最近、嫌なことがあったり、家でも学校のことを思い出すと、すぐにお腹が痛くなる。
それがひどいと、私のお腹の中のものは「急降下」し、何回かおトイレにお世話にならざるを得なくなる。

今も、そのパターン。

学校の校庭等、外履きで行くことのできるトイレは、無い。
仕方なくスニーカを脱ぎ、下駄箱に入れた。

いちばん近くのトイレに向かって歩き始めると、すぐに靴下の裏から、容赦のない廊下の冷たさに襲われる。
お腹や、腸のあたりから、嫌な音がするたび、強烈な腹痛に襲われる。お腹を手であてがいながら、何とか女子トイレにたどり着いた。

そのトイレは1階にあり、フロアには教室が無いせいか、他に誰もいなかった。
つま先で、かかとを少し浮かせながら、靴下をなるべく汚さないようにしながら、「個室」に入って用を済ませた。

流し台で手を洗っていると、次の授業開始を告げる、チャイムが鳴り響いた。
私は急いで自分の教室に向かった。

なんとか間に合って自分の席に着いて、教科書やノートを準備していると、またお腹が痛くなって、すぐに催した。

先生…すみません、お腹が痛くなったので…トイレに行ってもいいですか?

授業が始まってすぐの、生徒からの告白に、国語の有田先生は、私と目が合うと、少し不信そうな表情を浮かべたのが分かった。いきなり授業を邪魔されたのだから当然だろう。

「…そう、すぐ行ってきなさい。」

有田先生は、私の様子に気が付いたのか、トイレに行くことを許可してくれた。
女の先生で良かった。
私は少しだけ前かがみになって、お腹を押さえながら席を立って、トイレに向かおうとした。

「あら、村上さん…上履きは?」

席を立ったことで、上履きを履いていないことに気が付いたのだろう。
その、本当の答えを言うことはできなかった。何せ、皆の前で告白すれば、昨日の、下駄箱での警告文が発動されることになってしまう。

すみません…忘れました…。

「…仕方ないわね。職員室の横に、来客用のスリッパがあるから、それを履いて、早く済ませてきなさい。」

先生に向かって小さく会釈をして、クスクスと薄笑いのする居心地の悪い教室を後にした。
 
 
嫌なことがたくさん起きた一日が、もうすぐ終わろうとしていた。

「起立、礼、さようなら」

日直の掛け声の後担任の先生にあいさつをして、帰りのホームルームが終わった。

私の足元は、来客用のスリッパ。
先生に見つからないように、しばらく自分の席で息をひそめていた私は、数人を残して落ち着いた状況になってから席を立ち、教室を後にした。

下駄箱。

昨日の警告文。ローファーの盗難。(もっとも盗難、といっても私の場合クラスの誰かに靴を隠されて見つかっていないのだが)
私は、下駄箱の蓋を開けるのが怖くなっていた。

それでも、何事も無いことを信じて、「村上」と書かれた蓋を開ける。
 
 

ない。

無い。

空っぽ。
 
 
私の見ている下駄箱の中には、上下にわける仕切り板があるだけで、後は空間があるだけだった。
今日、体育の授業が終わるまでは、ローファー、上履き、体育用のスニーカ、と三足も私の靴があった。
 

今は、無い。
三足とも、無い。
ローファーと上履きは、昨日新調したばかり。それなのに。
 
 
そんな。

どうして。

靴が、無い。
 

わたし、帰れないじゃない!
 

自分の足元を見つめる。
来客用のスリッパ。

全体は木の色。金色の文字で学校名が、甲の部分に書かれている。
このスリッパで帰らなくちゃいけないの?

でも、靴下のまま、帰る勇気は無い。

ふと、優香の下駄箱に目が留まった。
その蓋を開けると、上履きだけが入っていた。

せめて、スニーカーが入っていたら、こっそり借りていくのに。わざわざ持って帰るなんて。
優香にも、いじめられている気がして、余計に悲しくなった。

もう、帰ろう。

私は、あきらめて、その来客用スリッパで、下駄箱を後にした。

「わたしは、この学校の来客です。しかも、靴が無くなった残念なお客様です。」

そう、心の中でつぶやいてみたが、何の気休めにもならなかった。